Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

ケーキをつくりなおす(または、中途半端さについて)

 バンドは水物だなんて言ってたつしまみれというバンドも今年の頭にドラマーが脱退して、そういうことに対するなんだか切ない気持ちというのは日々抑えられなくなってきているのだけれど、思えばバンドという分かりやすい媒体が無いだけで、僕たちは日々生活の中から何かに加入して、何かを脱退するという体験を得続けるのだと思う。物を捨てたり、家を変えたり、何かしらの一連の流れからの「脱退」や「加入」を繰り返し、海産物として自らの人生を泳ぎ渡る。

 信念のある生活は特別なものにも見えるけれど、信念どころか、取り立てて決まったルールすら無くたって僕たちは自分たちの生活に好きなだけ寄生することが出来る。泳ぎ方がどうでも、どんなルートでも問題は無く、何故なら泳ぐこと自体が生活の目標であり、その総体は因果というにもやや偶然性が勝ちすぎているから。何らかの信念もいずれ砕けて、その信念は一連の流れが崩壊したがためにすでに過去においても信念ではない。そういった脱退の流れを脱退するには、我々がこの生活そのものから脱退することでしかなし得ない。

 それほど偶然性が左右する日々を送ってきたものだから、なくしてしまったものが手元に戻ってくることなど有り得ないとなんとなく知っている。今まで財布を2度落として、その2度とも手元に戻ってくることはなかった。たとえ腕時計を分解して一呼吸整えた後に戻そうとしても、僕はその方法を知らず、なんなら自分の呼気で小さなネジが飛んでいってしまうだろうと考える。失ったものを取り戻すためのエネルギーより、新しい何かを探し求めるエネルギーの方が前向きで、有意義だと思う。

 それでも、何かが戻ってくることがあるのなら、それは大いに歓迎すべきで、例えばバンドの再結成なんてそんな感じだと思う。戻ってこないと諦めていたものが戻ってくる、そんなタイプの人生に何度もあるかどうかという奇跡が実際にあるということは、とても嬉しいことである。

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生活を巡る冒険


寺尾紗穂 - たよりないもののために

 この4月から定職についた。そんなに忙しくはなく、そんなに難しいことを求められるわけでもなく、社会に触れていく最初のタームとして、選択肢としてはそこまで悪くないんじゃないかなという気もする。

 一方で知識的欲求というか、目新しいものや最新のもの(流行というより先端技術、カルチャーとか)に対する渇望が半端なくなってきて、良いのか悪いのか、大量に新書をKindleや書店で買い、それらがちょっとずつ食い扶持を圧迫している。今までは考える時間とリソースが大量にあって、散歩をしながらでも色んな事を考えて、文章にできることは文章の形でTwitterなりブログなりに貯蔵、それ以外の脳内を揺蕩うようなイメージも断続的に考え続けることが出来た。自己流で意見を探し出し、それについて考えることで学べることは多かったのだが、今はそれらについて考え続ける時間はそうそう無く、少なくともじっくり考え続けられるような余裕は無くなったように思う。その着想の根本を、本などにアウトソージングしているというのが現状で、知りたいことについての本を調べる技術については検索世代の面目躍如といったところ。

 ふわふわと考えることが癖になっていたせいか、仕事みたいな側面においてはルーチンを体系化できない(するのが苦手)とか、反芻思考に陥りがちだったりとか、理論的な文章というよりスタンスとしてポエジストなところがあったりとかでちょっと苦労する部分はある。むしろその辺りの感覚との付き合い方自体はここ暫くでずっと対策してきたことでもあって、その順応についてはまあ仕方ないか…くらいの気持ちでやっているけれど、そうなってくると今度は「今まではひょっとして物事をちゃんと考えて居なかったのではないか?」という気分になってくる。体系として機能しないふわふわとした思考は、後からシナプスが繋がって何か一つの啓示みたいにはなるかもしれないけれど、それはむしろ身体的欲求という感じがして、シナプスが繋がるのを待つのは時計の部品をバラバラにして投入したプールの水をかき混ぜて時計を組み上げるような行為に近く、それは今までに充分な時間があったからこそ達成された(もしくは達成できるものとして想定された)ものである。

 僕は大学を卒業する時に論文を書かなかった。僕の所属するゼミがとてもその辺りが自由だったからなのだが、多分あの時に論文を書いていれば、自分の思想の客観的正当性みたいなものについてしっかり考えることが出来たような気がして、今となっては少し勿体無いことをしたと思っている。こうやって何でもない文章を書き出すだけで、「結局自分は何のことを理解できているわけでもない」という気持ちと向き合うことが出来るのに、その最たるものである卒論を逃してしまったことは本当に勿体無い。それが本当に必要だったかはわからないし、むしろこの後悔そのものと向き合うことが今は大事という感じもするけれど。

 自分のスタンス等の身体的感覚から出てくる仮定と、それを裏付ける客観的な意見を照らし合わせ、一つのまた新しい論を生み出すことは、一種の知的遊戯であって、もしくは、そうでもしないと自分の立ち位置を確認できない人の為の特権でもあったりするように思う。もし自分の思ったように生きたいのか、客観的に正しい意見を自己に適応させたいだけなら、前者は今を全てとして生き、後者は色々な知見を手当たり次第に蓄えるのが良い。自分が今眼前にある世界に対してどう演算すればいいのかについて、その都度その計算方法から考えるのは骨が折れる。だから、道が分からなくなったら右に行くという自己ルールであるとか、民主的多数決に従うとか、そういう方針を決めることは心身ともにかなり益のあることであり、そのように自己を戯画として受け止めることについては一考する価値があるんじゃないかと思う。例えば、メディアはそれに適応するように出来ている。画面に映る表層がざらつかないように、丁寧にコーティングされているそれを観て、感動することも増えたような気がする。でも、そんな純粋な気持ちを大切にしようと思ってテレビを観ていても、体の奥底が何かを拒否する感覚というか、その表面を触って粗を見つけてしまいたいという欲求が隠せなく存在するのである。やはりそこに求めてしまうのは、完璧な断面の顕在である。

 

mwxn92.hatenablog.jp

 

 僕はこれが(かつて、音楽で名を馳せようと努力していた時代の名残の)職業病なのか、時間がある時に生み出した僕の病理なのか(では、これは完治するものなのか)、それとも、自分自身の性格そのものなのか、皆目検討がつかなくなっている。自分の感覚が環境とともに形成されていくのであれば、僕のそういった病理は薄れていくはずである。これがもし自分自身であるのなら、もうこれ以上、自分の偏屈さにため息をつく必要も無いのかもしれない、と思う。

 適度な水温を求めて魚は水面を泳ぐ。鳥たちも海を渡り、遠い遠い自分の居場所へと帰っていく。寺尾紗穂は、信じる力はへその緒の彼方、僕たちが初めて泳いだ羊水の中にあるという。何者かであった前の、創造の水の中を揺蕩っていた自分自身が何を考えていたのかについて、改めて考える今日此の頃である。

2016年良かった国内の音楽5選

和田です。

前回の本に引き続き、今度は国内アーティストによる今年良かった音楽を厳選して紹介します。

前回エントリは以下

 

mwxn92.hatenablog.jp

 

はじめに

  • 今年良かった国内アーティストの音楽を幾つか紹介します
  • 全部今年リリースです(去年以前初出のものもありますが、今年リリースされた基準で選んでいます)
  • 後から書き足す可能性があります
  • 海外編は余裕があれば年内に書きます

2016年良かった国内の音楽5選

ASA-CHANG&巡礼 "まほう"


押見修造 × ASA-CHANG&巡礼 - 魔法 @ アウフヘーベン!vol.3

 3月リリース『まほう』に収録。今年はこの音楽に突き動かされ続けた1年間だったんじゃないかと個人的に思う。

 押見修造の漫画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』をベースに敷いた楽曲で、発音のタイミングや円滑さを自身でコントロール出来ない吃音障害を模したボイスサンプルが、徐々にグルーヴとメロディを獲得し、昇華されていく。仮歌がそのまま採用されたという生々しい歌声も、肉体的なボイスカットアップと美しいアンサンブルに包まれながらその世界観を創り上げていく。

 この楽曲だけではなく、このアルバム全体がとても暖かな空気に包まれていて、弱者に対する優しさや、隙間に落とされた微細な感覚をすくい上げるまなざしが所々に覗える。単なる音楽的に優れた作品である以上に、アート文脈的というか、セラピー的な感覚を持った作品だと感じた。こういった眼差しを持ちながら音楽を続けていきたいと思う。

Moe and ghosts × 空間現代 "新々世紀レディ"

  4月リリース『RAP PHENOMENON』収録。

 今年聞いたあらゆる音楽の中で最もグルーヴに溢れていて、それでいて突拍子もなく無軌道。ズレと隙間に対して真摯に向き合う空間現代による非存在するグルーヴに溢れるアンサンブルの上に重なるのは、ペダンティックで迂遠、日本のサブカルチャーの幽霊像を乱射するMoeのラップ(ポエトリー・リーディング?)。「反グルーヴ故にグルーヴ的」と「ペダンティック故にソウルフル」の2つの虚数が合わさって(2つのアーティストを繋いでいるのは乗算記号だ)出来上がるのは、途方もない実数の情報量にひたすら踊らされ続けるだけの音楽体験。ちょっと自分でも興奮して何言ってるか分からなくなってきた…。

 このアルバム全体が基本的にどっちのアーティストも容赦せずにサウンドを構築しにかかっているので、いわゆる引き算の美学とかわかりやすさ、みたいなところとは結果的に対極にいるのだが、実際はこういういわゆる「フィメールラッパー」的実像から遠くはなれているような音楽についてちゃんと真面目に語ってしまってもいいんじゃないかとも思っている。もしくはサブカルチャーの乱反射に太刀打ちできずに何も表現出来ないまますごすごと立ち去ってしまうかのどちらかだ。

 サウンド的には上に挙げた「新々世紀レディ」が一番取っ掛かりやすいと感じるが、このアルバムの中で唐突な存在感を顕している、山内マリコ著作『ここは退屈迎えに来て』の一節を引用した「可笑しい」も無視できない楽曲だと感じる。「可笑しい」では、『ここは退屈迎えに来て』の東京に対するコンプレックス、地方の空虚さについてのイメージを引用し、空間現代の決してグルーヴ的に展開することのない演奏と相まって、空虚で所在のない音楽体験を発生させている。しかし、実はこのアルバム全体を包み込むペダンティックサブカルチャー的感覚そのものが、そういったいわゆる都会的な存在に対するコンプレックスの「虚像」によって発生したものであり、それ故この引用は、『RAP PHENOMENON』の世界観の確立と、このアルバムに関わるアーティスト自身の感覚に対する自己言及という二重の意味を持っている。

 上の関係が直接あるかは分からないが、東京発のバンドである空間現代も、今年の後半には京都に活動の新天地を求め、そこにライブスタジオ「外」を設立している。そういったことも含めて、今年は場所性や空間性というものについても考えさせられる1年だった。

Seiho "The Vase"


Seiho - The Vase

 5月リリース『Collapse』収録。この作品に関してはUNCANNYにてレビューを寄稿しております。

uncannyzine.com

元々Beats的なサウンド感覚に接近し、数々の特徴的なクラブ・ミュージックを作り上げてきたのみではなく、独特のライブ・パフォーマンスや哲学によって国内外を見ても類のない特異なアーティスト像を築き上げているSeihoの新作は、まさにその「クラブ・ミュージック」の解体そのものの行程だった。というより、その体験は僕たちが「クラブ・ミュージック」として信用していた実態のない文脈や思想、共同体的意識の崩壊に近い。

 

 『Collapse』がリリースされてから、明らかに身の回りのアーティストの目つきが変わった。時流を読む、ということに対して諦観を示していたような人たちの目の色すら変えさせるような、圧倒的なパワーがあった。多くのアーティストが、「音楽をする」という原点そのものに立ち返り、答えを導き出さざるを得なくなった現状は、この『Collapse』の登場が一端を担っているかもしれない。逆に言えば、これから音楽に向き合うということは、あらゆるマーケティング的感覚と自己の音楽的感覚を別離させ(若しくは前者を「アウトソージング」し)、SoundCloudの外側、大気圏への冒険を余儀なくされる、ということである。

 これから何かが起こる、そんな兆候を示してくれたアルバムが『Collapse』だった。

辻林美穂 "あぶく"


辻林美穂 - あぶく

 4月リリース『Clarté』収録。

 凄く優しい曲調なのに複雑にたゆたい、時に解決するメロディ、そしてどこかくすんだ暗さを持つ歌詞が組み合わさって、アウトプットがこんなにポップなのズルくないですか…。「水面に浮かぶ泡 指で潰す」の部分でいつも気持ちがメチャクチャになります。

 この曲を聴いていると、当たり前に眼前にある風景の中にもどこか息苦しさとか切なさというのは眠っているんだよな、ということに気付かされてしまう。そしてまた、どんな悲しい風景の中にも美しさが眠っているということにも。その度に目の前の新しい何かを見つけてしまうほどの破壊力を持っているのに、構造の完璧さ故にさらっと聞けてしまう…。(ポップさを語るのはどうも苦手で、陳腐になってしまう)

 多くを語らないMVもとても良いです。

Yoshino Yoshikawa "PRNG (Hercelot Remix)"

 

Yoshino Yoshikawa - PRNG (Hercelot remix)

 10月リリース『Event Horizon』収録。

 永遠の目標で、大好きな先輩で、同時にライバルでありたいなと思ってる存在なので本当にHercelot氏の楽曲は全部好きなんですけど、今回のこのリミックスは一番やられてしまった。

 最小のダイナミクスを扱うのがとても上手くて、完璧なタイミングで乗るノイズやグリッチ、考え抜かれたサウンドの抜けの良さには何度聴いても惚れ惚れしてしまう。そして今年聴いた国内の楽曲の中では一番良いスネアが鳴っているんじゃないかと思っている。

 そして勿論『Event Horizon』そのものも非常に優れたアルバムで本当に必聴です。どういう文脈、理論、グルーヴを通過することで音楽はポップ足り得るか、ポップさのアップグレードは可能なのか、ということについて考え抜かれた2016年重要作といって過言ではないかと。

まとめ

  • 今年は臨界点を迎えた後の世界というか、あらゆる個性のものが多く出たような気がするし、そういうものを聴いていた
  • 「海外編」が書ければそっちに書くけど、結局メロディーが重要という気持ちも芽生える
  • 来年ももっと個性の向こう側に突っ切ったような音楽が聴きたい、生み出したい

ありがとうございました。