Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

丸腰の2018年

2018年早々からアキラ100%が芸を失敗し軽い放送事故を起こしたことがニュースになっていた。実際茎の根っこが多少見えたくらいの事故ではあるにしろ、放送基準で言うと事故も大事故だし、常にギリギリの中でネタをやっていたという期待値もあって、雰囲気としては待望のニュースという感じもあった。

ともあれ、このニュースに限らず、年末年始は「笑い」という領域の危うさを想起させる出来事が多いように感じた。タブーのボーダーラインを綱渡りしたり、それを意識させるようなことは今後容易く行われてはいけないとは思いつつ、笑いを取り扱うことに慣れていないこっち側は、笑ってはいけないのか、また、笑ってはいいのかの判別がしっかりついていないケースもある。感情を取り扱うこと、その結果を見世物にすることの是非は、考えれば考えるほどに複雑で、単一の答えは出てこない。表現をするというのは基本的には賽を投げることであって、理論やマーケティングは心を落ち着かせるためのルーティーンに過ぎない。

 

1月2日。護摩札を返納するために近所の寺に向かって歩いている。その最中にこの文章を書いている。厄年が終わってもまだ厄が終わった気がしないのは、去年初めて行なった厄除の効果がてきめんだったためだと思うことにしている。「厄年に手に入れたものは厄年のうちに失っちゃうように出来ているんだね」という言葉を思い出して、それならむしろこれからの方が大変なんじゃないだろうか、とも思う。

六星占術の結果によれば、僕は大殺界の3年間と厄年の3年間が丸々被っているらしかった。真面目に計算するとそもそも人生の半分が殺界・大殺界になるらしいのだが、それにしても身の振り方を弁えるための警鐘としてこれほどちょうどいいものは無かった。

吹雪が来たなら、動かずにじっとしていることがどの場合においても最善手である。僕は3年の間それをきっちりと守った。どうしようもなく真面目なのである。そしてその結果、3年間で学んだことは、理論上の最善手は現実の最善手ではないということだ。ましてや吹雪が来ていない状況下であるのなら。

年が明けて、恐ろしく身体が軽くなることも無ければ、急にモテモテになることもなく、当たり前のように正月が始まった。厄年の3年で得たものどころか、後ろ盾にする言い訳も失った。自業自得である。今年5月には26歳になって、アラサーの称号も獲得目前である(僕は27歳からがアラサーだと思っているけれど)。本当は腰が抜けて立てなくなるほどの脱力感に襲われてすらいるけれど、とりあえず立ち上がる所から始める。『三年寝太郎』よろしく、3年考えたら手際よく行動しても良い頃なのである。

 

お寺に到着したので、護摩札を返納。お焚き上げ所とは名ばかりの預かり所に札を入れて、そそくさとその場を去る。

 

西東京のにおい

 京王線めじろ台駅を一歩降りると、張り詰めた静寂の空気が一気に流れ込んで、鼻腔を通じて身体中が冷やされた。家路を急ぐたくさんの人々がエスカレーターに列をなす間に、身体は寒さにも慣れ、馴染みのないベッドタウンの空気を新鮮な気持ちで味わえるようになっていた。

 ラーメン二郎、あとはだだっ広い道路と居住空間しか目立たないこの町が僕は好きだ。それは、僕が生まれ育った東京の西部、都会のベッドタウンに対するシンパシーが要因としてあるのも間違いないのだが、なにより、その地域周辺が抱える空白感が好きなのである。計算立てて縦横無尽に組み立てられた都会のパズルと比べて、ベッドタウンのどうどうとした空間造形たるや。隙間を見つけては埋めたがる気持ちが抑えられない結果ぶくぶくと巨きくなった自分の身体を恥じた。

 汁なしラーメンを食べきって帰路につく。高尾駅で中央線に乗り換える時、またあの匂いがした。真空状態で冷やされた、静寂のにおい。都会のせせこましくも無限に展開していきそうなあの空気と、しんしんと積もる静寂の空気の中を行き来する間を、季節がただ黙って行進を続けている。僕の意識は、この実時間よりもさらにゆっくりと、東京の隙間を今も歩いている。

たとえ夜霧の中でも(17.09.24 黒木渚ONE-MAN LIVE「音楽の乱」@渋谷O-EAST について)

 昨年の8月。秋葉原ボルダリングジムで一呼吸ついていたら突如飛び込んできたニュース。それは黒木渚が音楽活動を休止するという内容だった。理由は、喉の筋肉が収縮する病気「咽頭ジストニア」。治療とリハビリには最低でも数ヶ月の治療を必要とし、その間に予定されていたライブイベントは全て出演を中止した。

 僕は、彼女がいつか戻ってくるのであればその時期は短かろうが長かろうがどうでもいいと思っていた。何も新しいものを提供できないまますっと向こう側に立ち消えてしまってそのまま戻ってこないということなんて今までいくつでもあったからで、それらに比べれば、必ず戻ってくるという強い意志を湛えた彼女の活動休止など全然大したことでもなかった。

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