Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

西東京のにおい

 京王線めじろ台駅を一歩降りると、張り詰めた静寂の空気が一気に流れ込んで、鼻腔を通じて身体中が冷やされた。家路を急ぐたくさんの人々がエスカレーターに列をなす間に、身体は寒さにも慣れ、馴染みのないベッドタウンの空気を新鮮な気持ちで味わえるようになっていた。

 ラーメン二郎、あとはだだっ広い道路と居住空間しか目立たないこの町が僕は好きだ。それは、僕が生まれ育った東京の西部、都会のベッドタウンに対するシンパシーが要因としてあるのも間違いないのだが、なにより、その地域周辺が抱える空白感が好きなのである。計算立てて縦横無尽に組み立てられた都会のパズルと比べて、ベッドタウンのどうどうとした空間造形たるや。隙間を見つけては埋めたがる気持ちが抑えられない結果ぶくぶくと巨きくなった自分の身体を恥じた。

 汁なしラーメンを食べきって帰路につく。高尾駅で中央線に乗り換える時、またあの匂いがした。真空状態で冷やされた、静寂のにおい。都会のせせこましくも無限に展開していきそうなあの空気と、しんしんと積もる静寂の空気の中を行き来する間を、季節がただ黙って行進を続けている。僕の意識は、この実時間よりもさらにゆっくりと、東京の隙間を今も歩いている。

たとえ夜霧の中でも(17.09.24 黒木渚ONE-MAN LIVE「音楽の乱」@渋谷O-EAST について)

 昨年の8月。秋葉原ボルダリングジムで一呼吸ついていたら突如飛び込んできたニュース。それは黒木渚が音楽活動を休止するという内容だった。理由は、喉の筋肉が収縮する病気「咽頭ジストニア」。治療とリハビリには最低でも数ヶ月の治療を必要とし、その間に予定されていたライブイベントは全て出演を中止した。

 僕は、彼女がいつか戻ってくるのであればその時期は短かろうが長かろうがどうでもいいと思っていた。何も新しいものを提供できないまますっと向こう側に立ち消えてしまってそのまま戻ってこないということなんて今までいくつでもあったからで、それらに比べれば、必ず戻ってくるという強い意志を湛えた彼女の活動休止など全然大したことでもなかった。

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ケーキをつくりなおす(または、中途半端さについて)

 バンドは水物だなんて言ってたつしまみれというバンドも今年の頭にドラマーが脱退して、そういうことに対するなんだか切ない気持ちというのは日々抑えられなくなってきているのだけれど、思えばバンドという分かりやすい媒体が無いだけで、僕たちは日々生活の中から何かに加入して、何かを脱退するという体験を得続けるのだと思う。物を捨てたり、家を変えたり、何かしらの一連の流れからの「脱退」や「加入」を繰り返し、海産物として自らの人生を泳ぎ渡る。

 信念のある生活は特別なものにも見えるけれど、信念どころか、取り立てて決まったルールすら無くたって僕たちは自分たちの生活に好きなだけ寄生することが出来る。泳ぎ方がどうでも、どんなルートでも問題は無く、何故なら泳ぐこと自体が生活の目標であり、その総体は因果というにもやや偶然性が勝ちすぎているから。何らかの信念もいずれ砕けて、その信念は一連の流れが崩壊したがためにすでに過去においても信念ではない。そういった脱退の流れを脱退するには、我々がこの生活そのものから脱退することでしかなし得ない。

 それほど偶然性が左右する日々を送ってきたものだから、なくしてしまったものが手元に戻ってくることなど有り得ないとなんとなく知っている。今まで財布を2度落として、その2度とも手元に戻ってくることはなかった。たとえ腕時計を分解して一呼吸整えた後に戻そうとしても、僕はその方法を知らず、なんなら自分の呼気で小さなネジが飛んでいってしまうだろうと考える。失ったものを取り戻すためのエネルギーより、新しい何かを探し求めるエネルギーの方が前向きで、有意義だと思う。

 それでも、何かが戻ってくることがあるのなら、それは大いに歓迎すべきで、例えばバンドの再結成なんてそんな感じだと思う。戻ってこないと諦めていたものが戻ってくる、そんなタイプの人生に何度もあるかどうかという奇跡が実際にあるということは、とても嬉しいことである。

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