Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

朝ごはんモグモグ!

自然には、言葉に変換しようとすればこぼれ落ちてしまう部分が存在するし、
言葉には、その表現で以って高度な感情や情景を共有することが出来る能力がある。
その特性から、自然はアナログ的なもの、言葉はデジタル的なもの、として考えることも出来るだろう。

言葉は自然ありき。そして、人間は言葉から成る共有意識を武器に自然を構築する手段を持ち得た。

言葉は万能であるが故に、ただ世界を言葉だけのものとして自ずと理解してしまいがちである。
ただ言葉を表現として解釈するだけでなく、それを自然(現実)に当てはめる、逆に、情景から言葉が溢れ出るという体験が大切なのだろう。
ある事象から、他人の言葉とは違う解釈が生まれたとする。それをぶつけ合うこと(コミュニケーション)で、共有意識はより多角的な、高次的なものに変わる。

もちろん、自然と人間が乖離して存在しているわけではなく、それぞれが絡み合って一つの世界を構築しているのだし、人間に拘らず、ほとんどの動物が言葉に代わるような表現手段、コミュニケーション手段を持ち得ている。
ただ、それぞれの人間が内側に持っている「自分の心」というのは、動物の中でも特異なものである。
しばしば、自分たちは自然と自分が乖離してしまっているような錯覚に陥ってしまう。それが憂鬱の原因であることも多々ある。
例えば、その憂鬱が素晴らしい景色を見ることで少し晴れる、という経験をした人は少なくないだろう。それは、自然と自分(の言葉)とのコミュニケーションを行うことで、自然と自分とが乖離してしまっている状態を元に戻そうとしているのかもしれない。

最近なんとなく気分が上がらず物寂しいので書いた。コミュニケーション大事だから誰かご飯でも食べようよーという話でした。