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Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

最近Apple MusicでDCPRGばっかり聞いてる。

雑記

 今日はずっとアートとデザインの境界について考えてた。

知識通りに取るなら「デザインは解決、アートは問題提起」ということなんだけど。(有馬トモユキさんの『いいデザイナーは、見た目のよさから考えない』に書いてあったはず)

 

いいデザイナーは、見ためのよさから考えない (星海社新書)

いいデザイナーは、見ためのよさから考えない (星海社新書)

 

 

 

 「デザイン思考」って言葉を改めて調べた。

「課題を見つけ出し、それに対する解決策を、今までにない新たな目線で引っ張り出す思考」ということで解釈は正しいのかな。言葉が上手でないからうまく説明できているかも不安だ。

僕は音楽に関わっていたので、音楽の話になってしまうけれど、持論として、音楽の中身がアートなら、その外側はデザイン的であるべきだ、というのがある。

中身のアート的要素に対する(もしくは、アートの問題提起を「どう取り扱ってもらうか」ということに対する)解決策を、外見で行わなくてはいけない、という風に感じている。

だから、外側についても中身以上に考えていかないといけないし、せめてコンセプチュアルに物事を考えていかないといけない、と思う。

 

 メディア芸術祭の受賞作品を観に国立新美術館に行った。

恥ずかしながら今まではあんまり興味がなかったけれど、上記の問題に関してのヒントになればいいなと思って。

結果、すごい楽しかった。様々なテクノロジーを使った「問題提起」がたくさん行われてて刺激的だった。

遺伝情報とCGを駆使して、同性婚した女性同士の子供を疑似アウトプットした作品がめっちゃ良かった。

今思ったこと:作品がアートなら、展示とは「デザイン」なのか?

 

Apple MusicでDCPRGばっかり聞いてる。

フランツ・カフカのサウス・アメリカ』いいですね。

フランツ・カフカのサウスアメリカ

フランツ・カフカのサウスアメリカ

 

 

 

 ベーシックインカムは文化の課題解決になるのか。

そのまま考えたら、食べていくのにあまり困らなくなる→働く時間が削減される→その分の時間が創作的な活動に割り当てられるようになる→文化のレベル向上、となるんだけれど。

  1. アートが問題提起をするものだとしたら、喰うのに困らなくなれば問題提起の沸点も上がり、野心的な作品が生まれにくくなるのではないか
  2. 芸術そのものの敷居が下がり、危機感の低下により価値判断の基準も鈍くなり、後世に残るであろう良い作品が見つかりづらくなるのではないか
  3. そもそも、喰うのに困らなくなれば、アートって必要なくなるんじゃないか

とか、色々な可能性が頭をよぎってしまう。

僕は、「芸術家たるもの貧乏で当然」とは思わないので、上記の問題は杞憂であってほしい、同時に目がギラギラしている奴が良い作品をアウトプットできるとも限っているわけではないと思うし。

みんなが食えるようになったら文化体系はどう変化していくのだろう。どこかで実際に導入する国が出てきて、結果をベースにその辺を考察できるようになったら良いと思う。

 

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思いついた時に思いついたことをなんとなく書き留めようと思いました。

見たいと思ったら見てみてください。