Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

人の好き嫌いに口出しをする権利はあるのか

 昨日はブログを書こうとする前にビールを飲んでしまい、結局書けないまま寝てしまった。

お酒は止めたいと何度も思うのだけれど、ビールが美味しいのでどうにも止められない。

つらい。

 

 今日だけで一ヶ月分くらいは話をした。2016年は密度が濃い。

現場にいる、という体験において、みんなは何を求めているのか、とても気になる。

音楽?

空間?

共有?

僕はもはや純粋な感覚で音楽が聴けなくなってしまっているので判別し難いし、別のものに置き換えればわかるという問題でもない気がする。

みんながそれぞれに違う良さを味わいたがっていて、結果として行為が似たようなものになるのでは、という推論を措く。

 

 パリピの可能性は長期的に見て潰えたかもな、という話。

 

 今日のポコラヂで思ったこと。

andrewがDJをしていた時間、会場にいたメンバーが「この曲はヤバイ」ってなって話題にし始めた瞬間がシンクロしたのが面白かった。

みんなが一律に「良い」と言えるものには、其れ相応の安心感があったりするというよりは、共通の「ヤバさ」みたいなのが潜んでいるのかも、と思う。

「ヤバい」がわかって、共有できるというのはすごい。

 

 帰り道にSkopeを聞いて、改めて音の良さに愕然とする。


Skope - Mimic

「音がいい」という感覚も人によって違うけれど、みんなが揃っていう「音のよさ」というものはどこに最適解があるんだろうか。

ちなみに上記の楽曲の音の良さの基準は

  • 高音がきつくなく自然、なのに音圧が高い
  • ドラムの分離が良い。キックは低域を揺らしていて、ハイハットは潰れずハリがある
  • ベースがすっきりしていて、かつ空間性がある(100〜400Hzくらいの処理を多分頑張っている)
  • 上物の音も潰れていなく、それぞれの音色が役割を持つように配置されている

みたいなところから見出している。

 

 ここまで書いて、「果たして音が良いということに意味はあるのか」と、ふと思った。

わざわざ書き出さないと共有できないような良さって、一体なんだろうか。

でも、そこに明らかに「良さ」はあるのだから、それを抽出すること自体には意義がある、のだと思う。

 

 たまに自分でも理由を探しすぎることにうんざりしてしまう。

ふと袋小路にはまってしまったら、笑ってごまかすのが一番良い気がする。

2016年はなるべく多く笑って過ごしたい。