読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

「空間」を受け容れる

家にいるということにより深淵を見てしまうことにも飽きたので、今日は無を取得した。
いい天気だったので。
f:id:mwxn92:20160217140947j:plain
家の近所
f:id:mwxn92:20160217141724j:plain
この奥に通っていた公立中学がある。
やけに静か。
近くに寄って体育館があった場所を覗いたけどそこは更地になっていて別の場所に新体育館が建造されているのでした。
f:id:mwxn92:20160217142427j:plain
高齢者施設とのこと。
中学生くらいの時に何かしらの校外学習でお邪魔したような気がする。
あの頃が一番ピュアだった。
f:id:mwxn92:20160217142617j:plain
あんまり遊んだ記憶すらないような近所の広場。
もとから何も遊具なかったっけか
f:id:mwxn92:20160217143228j:plain
さっきの広場を反対側に抜けて何やかやすると東八道路に出ます。
道路の奥に見える子供のいたずらみたいな建物は三鷹天命反転住宅です。
いずれ何かのテーマにしたい。
f:id:mwxn92:20160217143413j:plain
手前の「飯無料」の看板が傾いてるラーメン屋で昼飯を食べた
f:id:mwxn92:20160217145748j:plain
国際基督教大の真横を過ぎて、東八道路からも逸れて坂を下ります
f:id:mwxn92:20160217145914j:plain
下ります
f:id:mwxn92:20160217150256j:plain
すると野川に出る。
この辺から思い出をたどるというよりただ地元再発見みたいになってくる。
f:id:mwxn92:20160217150651j:plain
この辺はもともと鷹場だったらしく、偉い人がたくさん鷹を狩っていたらしい。
というか地名の由来がまんまそれですやん。
f:id:mwxn92:20160217151956j:plain
歩いて何やかやすると東京外国語大学に出ます。
英検の面接会場がここだったのを思い出した。
最寄が多磨駅で(これは非常に絶妙な立地で、ここで大学生活を送ると都会に出ようとする気がガンガン削がれると思う)、やけにシックな設計、やけにでかい寮といった様々な要素を経て、無を感じた。
中学の時の部活の同級生がここに入学していたような気がする。強い精神だと思う。
僕はこういうのとても好きだし羨ましいなあと思った。
f:id:mwxn92:20160217153631j:plain
東京外国語大学を抜けて飛田給駅方面に歩くと障害者更生施設が複数立ち並んでいる。
この辺りが一番空気が澄んでいて、道路も綺麗で建物に統一感があって、よくわからない複雑な感慨があった。
f:id:mwxn92:20160217154133j:plain
味の素スタジアムの背後をとりました。
このまま飛田給まで歩き、そこから武蔵野台方面に歩く。
f:id:mwxn92:20160217161238j:plain
林になっている高台を歩く。
f:id:mwxn92:20160217162513j:plain
武蔵野台駅
駅前には特に目立ったものがない代わりにこの写真の風景の背後に本屋とコンビニがある。
f:id:mwxn92:20160217163133j:plain
西武多摩川線まで歩きます
f:id:mwxn92:20160217163329j:plain
白糸台に着いた。
ここから西武多摩川線に乗って帰宅の方面。
ここまで大体2時間くらい。

 歩いてる最中はいろいろなことを考えていたけれど写真を並べて陳述しているうちに整頓されすぎてあるいは拡散されすぎてわけがわからなくなった。
実際は道に迷ったりコーヒー飲んだり中学時代の同級生のこと思い出して連絡取りたくなったり障害者更生施設にダウンジャケットを着て嬌声を発する2人が連れて行かれるのを見て何かを思ったり武蔵野台から白糸台に向かう時に子供が救急車に乗せられるところを見たりした。
野川〜多磨付近で思い出が深いところに沈んでいるような気がして歩いてみても結局得られる感慨が表面的だったりして自分が何を考えているのかについて自嘲的になってしまったりすることもあった。
どこからが小・中学生の頃の思い出で、どこからが今の自分の感覚なのかがいまいちはっきりわからなくて、いちいち思い出すのも難儀なような気がして、とにかく全体的にさらっと流した。

 写真はもっとたくさん撮ったけれどそれは自分がどういうところで生きていたかを再確認するためだった。
この前必死に論じていた「東京」、誰かが言う「東京」に対して理解は出来ても自分の無意識がどうにも反発しているような気がして、それは自分の中の東京が一筋縄じゃいかない情景だったからなのだと思う。
一つ定義をするたびに、自分の記憶の中の何かがこぼれ落ちていくようだった。
定義を振りかざして厳密に意味を切り刻んでいくより、それらをまるごと一つ把握して、受け容れることが出来たらなぁと思うし、何に対してもそういう見方をしていきたいよなぁ、とか考えているから、どんどん資本社会が遠のいていくような気がして、やっぱり何もしたくないなあと深淵を覗いてしまうのでした。

おまけ:

やっぱり西武多摩川線沿いという環境がすごく特殊で面白い。
西東京方面に向かえばシンプルに田舎に近づけるけど、「中央線」「京王線」に挟まれた「西武多摩川線」っていう小さな世界におけるアンバランス感は結構面白いな、と感じる。
武蔵境以外は乗り換えがすごく不便で、一番近いはずの白糸台〜武蔵野台の乗り換えをするにも10分くらい公道を歩かなくてはならない。どうゆうことだ。
ただし暮らすにはこんな気持ちのいい環境もなかなか無さそうというのが実際の感想で、僕はこの辺りの空気が本当に好きだし、この環境的なアンバランス感をなんだかんだプラスな面として受け止められているように思う。犯罪も少ないし。

おまけ2:

最近Twitterで「都外の人間による東京都のイメージ」みたいな画像が複数回ってきて、それらのどれもがこの辺りを「魔境」的に捉えてて面白かった