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Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

ルールは破るためにあるというのと同時に自由は守るためにあるという感覚も存在し得るのではないか

 文章が上手いと褒められると嬉しいけれど、なんかしっくりこないのはどうしてだろう、と考えた。

 音楽ライターみたいなことをちょっと前UNCANNYで活動的にやっていて、ありがたいことに幾つかのレビューに好評なコメントをいただけたとはいえ書き方には何種類かあって、それを無意識に使い分けていた。

 まず、作品を聴いた感想というか、それが社会的に、もっと小さくいうと界隈的にどういう意味があったのかが明確あるいは自分の中ではっきりと結論が下せる時は、ひたすらそこへの導線を作るためにわかりやすく書くことをやっていた。例えばコンセプトアルバムというのは大体そうで、僕はそれに対してその物語がどういう感慨を与えるか、それに加えてその作品と文化的背景の関わりがどうなっているかみたいなことをやる。

 パッと聴いて、その導線がはっきりしない時、例えばコンセプトアルバムというよりも「そろそろここいらで一アルバム打っておきましょう」的な作品に対しては、ではこれは思ったことや聞いたものを文章にすればいいのか、といえばそうではなくて、というのは今やアルバムなんてものはインターネットでいつでも試聴ができるものがほとんどであるから、もはやこの音楽自体がどうであって、みたいな文章は求められていないのではないか、ということを思うからだ。だから「このアルバムがこの人にとってどういう意味を持っているか」について考えて書くことをする。アルバムを出すことに対してただ闇雲にリリースをするなんてことはまず無いと想定して、いろいろなインタビューを読んだり、SoundCloudなどで今までの作品の方向性、リリースするレーベルの雰囲気なんかも加味して、大体こういう感じでは無いかということを書く。そのリリースの目論見はマーケティング的であったりするし、あるいはもっとアーティスティックな理由であるのでは無いか、ということを何となく推察して文章にまとめる、ということをする。

 文章を書くとき、大体全体の構成みたいなものは意識することは無くて、それは僕が文章としてまとまりすぎているものが好きでは無いという理由と、客観的にそれでも好き勝手やらせてもらえる環境で今まで書けていたからということと、後は多分持ち前のバランス感覚でなんとかなっている部分もあると思う。

 なんかもっとシンプルに書いていたように自分でも思うけど、多分水面下で自分はこういうことを考えているんだと思う。現実はこれ以上に適当で、なんとなく書き出したイントロが調子良くて辛うじて作品の内容に繋がって最終的にこういうことがしたいんじゃないかって強引に結論づけることもある。けど怒られたことはないので5〜6割くらいは近いところを掠っているのだと信じることにする。そういうことが適当に羅列できるのは文章が上手いというよりも僕は変な作家の書く変な作品が好きで、そういうところから影響を受けた結果「好きに書くのが一番良い」ということを自分の中で念頭に置いているから、自分のこういう記述法に自信が持てているからそういう風に書かれているし見えるのだと思う。

 大体の人は、思った以上に文章を書かない気がする。大学のレポートなんかも、なんとなく教室で話を聞いたりしていると想像以上にコピペで済ませる人が多いなと思っていた(拙い展開でもいいから自分で書いた方が早いのに…と考えると、書くことで楽をしているのは自分の方でむしろコピペでも本物に近い情報を学ぼうとしている姿勢は偉いんじゃないかと思う)。バスケのルールを厳密に知らなくても基礎知識がなんとなくあれば応用できてなんとなく試合ができてしまうのと同様で、たまたま本をちょっと読んでいていろいろな書式の中からやり方をインストールできているだけで、僕は感情豊かな表現を比喩で表現できるわけでもないし詩もよく解らない。ただ一つ後悔しているのは、物事はなんとなく出来るみたいな感じに流されていく方が恐ろしくて、そのなんとなく出来てしまった癖は後から修正するのは難しいということ。だから僕がいきなり女流作家みたいな上品な文章を書けとか、古井由吉みたいな物語を書けと言われたら無理なので自分が本当は文章が書けないということを反省して一から学びなおさなくてはいけない。

 僕がライターとしてやれていたのは、学生で、ほとんどお金をもらっていなかったからだ。いざお金をちゃんともらってフリーランスとして、と考えたら、僕は急に恐ろしくなって「文章の書き方」なんて教習本を買ってそのまま出てこなくなるだろうとしか思えない。逆に言うと、僕ほどファジィなやり方で一丁前に音楽ライターっぽい仕事をこなせていたのは恐ろしい。それでいいのか音楽業界。

 まあそもそも音楽ってファジィな世界だよなってなんとなく思っていたけれど、むしろそのファジィ具合というのは霧の中を歩くというよりもみんなハッパを食わされて酩酊している状態でやっている将棋みたいなもんなんじゃないかってたまに思う。複雑とはいえルールがあるし何千通りにも及ぶが勝ち方もあって、だから目の冴えた人から淡々と王を狙いに行くのではないか、という思いがある。たまたま勝っちゃったみたいな顔をして。まあたまたま勝ったのかもしれないけど。

 別にみんなの頭が冴えてしまったところで将棋は考えるだけで楽しいし奥が深いんだからそういう風になった方が競技としてもレベルが上がるんだけれど、酩酊しているから指すこと自体が楽しいんだっていう。加えてそういう競技とは違うところは音楽は勝つだけが能じゃないという点で僕もとうに必勝は諦めている。でも完全にそれを割り切っている人ってあんまりいないのではないですか。自分も必勝は諦めていると言いながらどこかで勝てればいいみたいなのはあって、まあ最優先事項ではないよなということだけであって。完全に主観だけど、冴えてる人はどんどん増えてるし、攻め続けている。指し続けている。そういう目線は自分がレビューを書くから手に入ったのかもな、と思うと、文章を書き続ける機会を与えてくださった皆様には感謝だし、中学生の時に本を読むきっかけを与えてくれた同級生には頭が上がらない。あ、僕はゲームはしばらく良いです。

 以上の文章とは全く関係なく、黒木渚さんの新譜がとても良かったです。

 今後もこんなスタンスで宜しければ、たまに書きます。


黒木渚「ふざけんな世界、ふざけろよ」MV(short ver.)