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Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

押さない、駆けない、乗り越えない

断片的なものの社会学

断片的なものの社会学

 岸政彦による『断片的なものの社会学』を読んだ。

 この本がどうにも愛おしいのは、ここで書かれている見方や視点というのが、決して斬新でも、革新的でもなく、ある種の人間には当たり前のことで、またある種の人間には全く無関係のものであるからだ、と思う。明らかに誰かの生活でありながら、その節々は、全く理解の出来ない、何かが掛け違えているような感覚が覗いている。だけどそれは、実際に起こる(起こった)事であり、超現実以前の現実であるのだ。

 この断片集の中の一節に、「出会いとは暴力だ」という節がある。全くその通りで、僕がこの本と出会ってしまったのも一種の暴力だと感じている。紹介してくれた人間を詰っているのではない(そもそも僕自身も気になっていた本なのだ)、こういった概念に触れてしまう事自体が、平穏と安定を目標とする僕たちの社会を希薄化させてしまう出来事なのである、ということだ。とはいえ、これは危険思想なのではない。もっと手前の、満員電車の中で足の置き場に困ってしまったまま目的地への到着を延々と待つ感じというか、止むか止まないか検討もつかない微妙な通り雨の為に、手持ち2,000円しかないのにコンビニでビニール傘を買おうかどうか迷う感じというか、そういった概念をひたすら投げかけてくる。

 こういった当たり前の概念が揺らぐというか、日常は変わっていないのに、何かしらの選択肢が増えてしまったような居所の悪さは、どうにも東日本大震災以降から感じる事が増えてきた。想像を絶する災害と、原発事故という人類にとっても存亡を左右する可能性のある出来事を同時に経験した我々のうちからは、大きな物語が失われたとか、フィクションの敗北であるとか、そういった色々な概念が噴出し、それでも図太い日常がそれらを記憶の隅や通説の範囲外に押し流そうとした。

 震災以後を語るのに、真面目に物語を言葉にして綴るということは、世間に対していささか力不足だったというか、子供のお遊戯のように感じられたのかもしれない。町田康は震災に関するエッセイとして「ワイルドサイドを歩け」という文章を書いている。*1 これがまあメチャクチャで、目の前にある「文章業」という仕事を取り上げられるということはこんなに痛々しいことか、と思いつつ、そこには凄まじい感動というか、震災以降に芽吹く物語の片鱗が眠っているようで、ちょっとした感動もあった。

 ともあれ、震災以降、ある層の人々はそれぞれの信じた物語の断絶、通説的に感じてきた通奏低音が不協和音になっていく過程を体験した。更に言うならば、既にバラバラになっていた物語に気付かされたキッカケというのが震災そのものだった、と言ってもいいのかもしれない、と思う。

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 震災直前、僕は大学受験に失敗し、浪人生となっていた。3月11日、通っていた塾の紹介で、不動産の短期バイトをたったの2日間だけ経験することとなる。それは、東大の構内で、新たに入学が決まった学生の家探しの支援というバイトで、僕は、部屋の内見に付き添う役割を担当した。

 僕にとって一組目のお客だったように記憶している。新たに東大に入学することが決まった女の人と、初老のおじいちゃん。内見予定の家に案内すべく、彼女らと富士見ヶ丘に向かう事になった。

 道中、いくつか話をする。浪人して東大にようやく受かった事。高校が進学校で、周りは現役で東大に入学する子も多く、悔しい思いをしながら勉強をしていたということ。彼女は元から地方暮らしだったが、おじいちゃんは元々東京で暮らしていたこと、忘れたが何かの関係で地方に移住することになったことなど。駒場東大前駅で電車に乗ろうとすると、塾で知り合っていた、先輩の東大生にばったり出くわす、お互いビックリするが、僕がバイト途中でお客を連れていたこと、電車がまもなく発車することもあり、挨拶も早々に電車に乗った。

 地震は、下北沢駅に間もなく着く頃に発生した。震度5弱。電車が止まる。

 最初は落ち着き払う乗客だったが、あまりの地震の大きさに、みんなが少しずつ速報を確認し始める。東北で震度7地震。どよめきが車内を包み、おばさんたちが「大丈夫かしらねぇ」と話し合う。

 東大生の同行者であるおじいちゃんが、連絡を取っている。東大生の父親だったように思う。東京に向かう最中だったが、新幹線が止まってしまったとのことらしい。そういえば、この電車もなかなか動かない。非日常がゆったりと空間を包み込む。

 数分経って、車掌のアナウンスが入る。下北沢の目前で停車したため、電車を進めず、乗客をここで降ろすということ。高架上なのでやや緊張感が走ったが、非日常のオーラによってそんなことはどうでも良くなった。

 先頭車両のドアが開けられ、順番に、スムーズに線路へ降りる。おじいちゃんが降りれるかだけ心配だったが、問題はなかった。

 僕も、事態が事態なので、仕事の責任者に連絡を取る。結果、その日はお客を帰して、内見は明日行うこととなった。事情をお客に説明すると、宿泊しているホテルが池尻にあるので、とりあえず解散し、翌日の午前に富士見ヶ丘へ直接集合することとなった。

 お客を乗せるタクシーを捕まえるために下北沢の大通りへと向かうが、全くタクシーが捕まらない、本当に、30分ほどかかったと思う。漸く空席のタクシーがあり、2人を乗せることが出来た。ありがとう、と感謝された。

 その後僕は、どうにか夜頃に吉祥寺に到着し、親と落ち合い、家へと帰った。翌朝も普通に富士見ヶ丘へと向かった。彼女らの他に、もう一組ほど案内をしたことを覚えている。

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 あの時の異常な時間は、今思い返しても、不思議な熱を帯びて襲い掛かってくる。電車が停まり、タクシーの手配に苦労した一方で、遠い地続きの場所で、大きな物語の断絶が露呈し始めていた。

 あの前と後では、物事や空間の感じ方が大分違ってしまったように思う。日常の変化というのは、それ以前はせいぜいゴムが伸び縮みする程度の変化でしかなかったが、この時に発生した出来事の熱量が大きすぎて、大きく形がねじ曲がってしまったのだと思う。これからも変化はあれど、以前の形に戻るということは奇跡的な展望でしか無い。また、この変化そのものも、人それぞれが別個に持っているものであり、決して同じものは何一つ無い。変化を感じる場所が1kmでも違っていれば、きっとまた違った感慨を覚えていただろうと思う。これはどうにもムチャクチャな断絶である。つまり、そこから物語の形が一人ひとり違ってしまうので、もはや大衆への物語というのは以前のような輝きを持たない。しいて言えば、それらは感情を思い起こすためのサプリメントのようなものだ。

 いつもの癖で話があっちこっちに飛んでいってしまっているが、すべての感じ方、物語、認知というのは人それぞれ(人という単位で区切ることもやや違和感がある)だという、ある意味ずっと前から答えが出ている考えを、この様な語り口でもって改めて「断片」として説明するということは、テン年代以降の世界の解釈としては有り得ることなのではないか、と考える。感覚は(物語は)人それぞれで、だからこそ何かの共有を求めるということは、以前にも増して尊い。共有できなくても認識しあうことは出来る、という比較文化的な博愛の形を確認するための時代、というのは言い過ぎなのかも知れないけれど。

 それでも、図太い日常があらゆる博愛を押し流す。日常は、あらゆる雑多な声を掻き消し、目の前のやるべきことを提示してくれる。だからこそ、人は流されていく。個人的にも、それはそれでいいのではないか、と思っていて、それは、日常を信じ切る人たちの方が圧倒的に強さを湛えているからで、この生活が物語ではないということすらとっくに承知しているからだ。正直言って、こういった論説を有難がること自体が弱さの印であり、だからこそ、人間は圧倒的に弱い。それでも自分自身の強さを信じるならば、一つには、幾らでも目の前の壁を乗り越えて、それを恐れない事。他方は、壁を乗り越えない強さをも知ることであり、強くも儚い日常にその身を委ねる、いわば「普通」への覚悟を持ち、それを恐れない事だろうか。そして、なんというか、コレほどの言葉を書ききっても、取り上げた本以上の境地を見出だせないこと、結局「どうしていいかわからない」という地点から一歩も踏み出せていないことについては、やはり、断片の時代を航海することの難しさを感じさせられる。自ら流れるか、流されるかなんですよ。

*1:初出・新潮 2012年4月号。町田康『常識の路上』掲載