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Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

おすすめ

 今朝目覚めて、何気なくiTunesを開いていると、そういえば、黒木渚の新曲が昨日出たのではないか、と思い出し、そそくさとApple Musicにアクセスした。こういう時、ストリーミングサービスって便利だな。

 あった、あった。「灯台」という曲で、映画の主題歌になっているらしい。映画には興味は無いが、「片想い」というテーマで作られたこの楽曲はやはり素晴らしく、改めて黒木渚の素晴らしさを実感した次第である。

 彼女の凄さというのは、個の感じる「孤独という普遍性」を突き刺しているところというか、個人化した現代に対する処方箋として機能する強靭さみたいところにあると思う。マイノリティがマジョリティとして蠢くこの時代にとって、弱さを優しく抱え、その上奥底の強さへと変換させていく歌が、とても心強く感じる。

 実は先月、彼女のワンマンライブにも行った。誤解を恐れずに言って、その会場、東京国際フォーラムのホールCにいた老若男女すべてが、とても弱々しい存在に見えた。もちろん、自分自身もだ。それは、彼らが、歌声を聞きに来たとか、グッズを買いに来たとか、曲が好きでなんとなく来たとか、そういう次元のものではなく、1人のカリスマに力を貰いに来ているのだからだ、と思った。数千円という料金を支払ったにしろ、そこに居る限り、僕たちは、弱さをひけらかす存在で居られるのだと思った。

 彼女は、特別歌が上手いという訳ではない。ライブのステージングは凝っていたが、もっとお金をかけて凄いことをするアーティストは沢山居るだろう。カリスマとして存在していることは確かだが、想像を絶するような天才性を抱えているわけでもない。彼女の存在としての凄さというのは、彼女自身の真面目さや教養、楽曲を演じる役者性といった、バックグラウンドに絶え間ない努力が滲むところが大部分である。だから、彼女について語るには少々のオタク臭さが混じってしまうことがなんとも辛い。ってこれほとんどアイドルじゃない?

 とにかく、僕たちは見守るのである。一生懸命彼女が楽曲を演じ、ワンマンを演じるからこそ、僕たちは立ち上げられた「黒木渚」というカリスマに身を委ねることが出来たのであり、それを支えているのも彼女自身の天性の才能が全てなのではなく、大きな努力の結果なのである。

 ライブが終わる。お客の中には、「号泣した」と友達に言っている子も居た。僕は、泣けなかった。だけど、愚直にコール&レスポンスを返してみたり、周りの振りをちょっと真似してみたり、自分の弱さをひけらかす努力はしてみたつもりだった。また、観に行きたいと思う。

 好きな曲を3つ上げるなら、「骨」「大予言」「ウェット」だろうか。次点で「ふざけんな世界、ふざけろよ」です。


黒木渚「灯台」国際フォーラムホールC 2016.06.03(Live/Encore)

 ↑その行ったワンマン、アンコール一発目に歌ってくれた「灯台」。サビの作り方がすごく素敵なんだよね…

ちょっともう少し書きたいことがあったんだけど、力尽きたのでここまでで。そのうち続き的なものを書きます。