Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

たとえ夜霧の中でも(17.09.24 黒木渚ONE-MAN LIVE「音楽の乱」@渋谷O-EAST について)

 昨年の8月。秋葉原ボルダリングジムで一呼吸ついていたら突如飛び込んできたニュース。それは黒木渚が音楽活動を休止するという内容だった。理由は、喉の筋肉が収縮する病気「咽頭ジストニア」。治療とリハビリには最低でも数ヶ月の治療を必要とし、その間に予定されていたライブイベントは全て出演を中止した。

 僕は、彼女がいつか戻ってくるのであればその時期は短かろうが長かろうがどうでもいいと思っていた。何も新しいものを提供できないまますっと向こう側に立ち消えてしまってそのまま戻ってこないということなんて今までいくつでもあったからで、それらに比べれば、必ず戻ってくるという強い意志を湛えた彼女の活動休止など全然大したことでもなかった。

 


黒木渚「大予言」MV

 昨年の6月。たまたまYouTubeで「大予言」のMVを観てからずっと釘付けだった黒木渚のワンマンライブに初めて遊びに行った。客席には色んな人がいたけれど、僕のように目を淀ませながら、それでもその奥に何かを湛えながらギリギリ立っているような人間が多く見受けられた。そういう人たちのための音楽なのだ、僕含め、と直感的に思った。そのライブが閃光のように突き抜け、残像がいつまでも眼前に残り続ける、その矢先の活動休止だった。

 彼女は休止期間に入ると本を出した。文芸雑誌にも作品を提供した。それは、音楽が扱えない音楽家としての精一杯の表現だったと思う。だけどそれらに僕はそれほど興味を持てなかった。それよりも、彼女が戻ってくる時その一発目に、一体どういう技を使ってくるのかが気になっていた。

 今年に入って、黒木渚の音楽活動再開が決まる。9月の渋谷O-EASTでのワンマンライブ「音楽の乱」。それが彼女の初手だった。やや経って、復帰一作目のシングル『解放区への旅』が発表され、間もなくMVも公開された。2台のドローンを駆使して、ズームアウトとインをダイナミックに行き来するその映像、そしてその背後からは、彼女だけではなく、それを支援する様々な技術者、アーティスト達が見えるようだった。


黒木渚「解放区への旅」【Official Music Video】

 今年の9月24日。そうしてゆっくりと彼女はステージに立つ。運命に復讐を誓う彼女の声は、未だ不完全で、だけれどそれは不思議と美しく聞こえた。声を全力で扱えない代わりに、音楽以外の演出の手段が充実し、それが最終的に彼女の音楽の昇華に繋がっていた。音楽が乱れて脱線し反発を起こす。その波をうっとりしながら見つめるような2時間はあっという間に過ぎた。

 アンコール前最終曲に演奏された「火の鳥」は復帰シングルの3曲目に収録されている。ライブメンバーで録音されたというこの楽曲は、まさしく黒木渚の活動休止中の心情を歌ったものであり、歌詞内の表現を余すこと無く文脈のうちに回収し音楽に織り込む黒木渚の真骨頂とも言える楽曲である。メンバーによってイントロが打ち鳴らされると、真っ赤な衣装を着た黒木渚の背後に、今回のライブのゲストパフォーマーでありキーである、舞踊家の伊藤キム氏が両手と両足を広げて静止する。ステージ上に、まるで大きな火の鳥が、僕達を背後に飛んでいくかのような形で見えた。

 休止前に生きることの滑稽さを「ふざけんな世界、ふざけろよ」で高らかと歌った黒木渚は、猛火に焼かれ、一年間続く夜霧を耐え忍んだ後、「火の鳥」を引っさげて帰ってくる形となった。緊張を湛えながら、それでもシリアスになりすぎず、1年前にも増して力強く観客の「本命」を演じた黒木渚。その歌声と姿勢を目前にして、「ゆれる」運命、自分に無邪気に立ちはだかる障壁に復讐する手段とは、まさしく運命を意味づける何かに諦めを抱くことではなく、その中に立っていても尚、誠実に呼吸をすることであると、そう感じたのだった。


黒木渚「アーモンド」(Live at EX THEATER ROPPONGI 2016. 01.11)

 

解放区への旅 通常盤

解放区への旅 通常盤