Bad Summer Day Blues

「感情を高ぶらせてペン先から煙を出すためにはそれなりの覚悟ってヤツが必要だ」

26歳

18年5月5日で26歳になりました。よく生きた。

最近考えるようになったのは「人生に無駄ってやっぱりあるのかもしれないな」ということで、今まで僕はどちらかと言うと「経験した全てのことはこの先の糧になる」とか「全てには意味がある」ということを信じて生きてきて、それ故に「人生には乗り越えられる試練しか起こらない」的な発想をなんとなく受け止めていたんですが、それにしては最近人生は俺のことをナメにかかっているような気がするし、その間に周りの友達やら同級生やらはどんどん立派になっていくし、もしくは死んじゃったりするし。環境がちょっと違ったり選択肢を少し別のものにしていれば俺だって安定剤を服用していたかもしれないし、もっとまともなあるいは悪い状態になっているかもしれないのだけれど、とりあえず今の俺は俯瞰してみても「停滞」としか言わざるを得ない状況に陥っていて、最悪(?)このまま一生を終えるような気もしてしまう。これは『Plateau』なんて作品を出したことによる呪いのような気もする。あれだって実質1年以上前の作品だし。

アルバムを出してからというものの、全然作品を作るということが出来ていない。これには物理的な事情があって、音源ライブラリを入れていた外付けHDDの調子が悪くなってしまっていて、新しく買い替えなければ今までの状態で作業することが出来なくなってしまっている。ついでに今のMacbook Proもそろそろ買い替えたいし、それに応じて色々な機材を…とか考えているうちに「制作」そのものがどっか隅に追いやられてしまっているのである。これでも同じ年代の人間の中では考えるべきことが流石に少なすぎているんだけれど、僕は「選択」が気に病むほど苦手なので、これだけのことで何も手につかなくなること自体は自分の中で織り込み済みである。とりあえず26歳のうちにはひとまとまりの「作品集」を作り上げることを目標の一つにはしているんだけれど…。

俺よりよっぽど面白いし賢い人が、だけれど(だからこそ?)安定の道を選んで、そこそこのぬるさの中に自分の場所を見出すというのは理に適っているような気もする。でも自分のメンタルの不安定さを憂慮して、あえて停滞的な道を選んだ自分からすると、そういうのを見ているだけでなんとも言えないもどかしさもあるし、自分がそういう理由だけで今の仕事を選んだ浅はかさが突き刺さってしまう。成果報酬型の人生はしんどいと思っていたが、「気持ち」とか「しきたり」それらで立ち位置を決める生活もかなり厳しいことが分かってきた。精力的な人間なら高校生の段階で気づいているようなことを、26歳でやっと気付くんだからもはや手遅れの気配すらある。手遅れなりにこれからの道すじを検討していきたいがゆえに色々な人と話す機会を設けるべきではとも思ったが、もはや自分の人生のために他人を巻き込むこと自体が面倒という気がしてきている。どこか遠くに行きたいという感情も現実味を帯びてきたが、それでも根幹的な「人と関わる」ことのしんどさが解けることはないような気がする。

考えれば考えるほど「とりあえず痩せることから」という気がする。とはいえ今以上に「計画する」ということがだるいと感じる時はなかった気がする。だるい。26歳はだるさで始まりました。どうぞよろしく。